SoloSub buttons

たまには手書きで HTML でも書いてみようと思って、Solosub Buttons のページをブログの管理外に置く。 にこにこ風味 :: Solosub buttons 無駄に作るフェティシズムと言うか、無駄に作るものが存在するという満足感。アホだす。

スタティックなページは手書きで書いちまったほうが、非システマチックでグーかなと思ったけれど、コメントとかはそのまま持っていけないのだと作った後気付く。だけども、そんなことをしでかす脳の中が以外と非システマチックということが判明してグー。

それと、RSSを登録する仕組みは、ブラウザかRSSリーダーが実装してくれればよいわけで。そう思いつつ、乗り気もせず無闇にボタンを作成。この今さら感と、夏の終わりが妙にマッチング、またはマイッチング。

夏の半ばから、潰すとココナッツの匂いがする蟻が発生したことをここに記す。

ほにゃららができない

最近、debianサーバを素敵なお道具箱にするべく、基本的なアプリをガツガツ入れ始めているんだけど。APTコマンドで結構簡単にインストールの管理ができる((癖はあるけど)。

ところで突然だけれど、「~」や「???」はどのように声に出して読むか。”なみ”か”はてな”かもしれないけど、やっぱり”ほにゃらら”。 まったく日本人ってのは不思議な読み方を発明しやがる。なぜ”ほにゃらら”なのか、”ほにゃ”と”らら”なのか、あぁ迷宮入りだ。 と思ってググってみたら、クメヒロシ作らしい。味なやつだぜ。

それはどうでもよくて。パスコンで作業してると、いまいち生産的じゃないとこに力を入れてしまうのが悲しい。アプリケーチョンのインスコでコケたり、スクリプトのちょっとしたスペルミス、灯台下暗しのミスで半日潰したり。「作業」が嫌いな自分に捧げるバラード。

  1. 反応を見る 大抵はアクションを起こすと反応があるもので。例えばCGIのスクリプトを書いていて、ブラウザから実行するとエラーが吐かれたりするもの。 エラーが出たですませるんでなくて、英語でも、ちゃんと読めばなぜエラーになったかがわかることが多い。エラーを読むことも、作ることの一部。 “髪型変えた”くらいの女性のアクションで、反応するなかれ、エラー吐いてやれ。
  2. ログを漁る CUIのツールってのは、ログ出力の機能があるもので。関連したものを探してゆけば、何か足跡が残っていたりする。これも定石。 そんなあなたに、「東南に探し物あり」。
  3. 以前の状態へ戻る 無精な人間は一通り一気にすませて、それから本番に入る。段階を踏んでゆけば問題の箇所にぶつかるけれど、「かったりぃ」の一言が倍の作業時間を作るきっかけに。そんなあなたのラッキーアイテムは”虫入りの飴”
  4. ググる 自分で解決できなければ、他人のサクセスストゥリィを探すべし。素敵な出会いがあるかも。
  5. 忘れる なかったことにする、見なかったことにする、空白の一日だったことにする。周りには「UFOを見た」と言っておくと吉。

と、チキンラーメンをバリバリ噛み砕きながら書いているんだけれども。しかし、あれだ…結局何となく出来ちゃうことってあるんだよねぇ、不思議。 さ~てと、ほにゃららでもして、屁して寝るかな。

土からキッカケ考

夏場の畑仕事を2週間、冬場と合わせて1ヶ月ほど。4~5年続けている。

otenkiameふんわりと湿った土の上に、木や雑草が脈打つように広がっていて。虫がぶんぶん、たまに狸。風がびゅうと吹いてきたり、雨がザラザラ降ってきたり。 畑の上で、休みがてらにちょこんと腰掛けていると、太陽が頭の上でガンガン鳴って、昨日の雨が戻っていったり。 何を考えるか考えると、考える必要がないと考えてみたり。汗がボロボロ出てきても、風が吹けば結構。

果実(または農作物)を作ること。モノを作ることと何か違うのかもしれないけれど、同じかもしれない。育てていると、情が移るといいますか、もし自分より長生きするのなら、自分が肥やしになってもいいのかもしれない、と思うかもしれない。 「環境が大事」とはよく言う言葉だけど、そのモノにとっては環境が全て。環境に作られたものが、環境に蹂躙されて責任を自分が取るなんておかしな話。

都市部に出ている人は忘れちゃうんじゃないだろか?土の匂いや川の手触り、雨が山に振りかかる音とか。何かの価値を他のものの価値と置き換えるのが怖くなったり。

モノを作ることに携わる人(特に芸術方面で)が、何で”作る”ということをしないのか、時々不思議になる。例えば、絵を書くときに支持体(キャンバスとか)が必要になることがあるけど、大抵が四角のものを使用する。 自分のイメージが四角であれば、それでいいかもしれないけれど。四角にイメージすれば四角な枠の中にイメージが展開されるでせう。

山や自然に潜む性的なイメージは想像以上に生々しくて、と言うより、生命体が時間と共に命を継ぎ足している現実の現象は、恐いほどナチュラル。野性的という言葉も、人間が考えているものでは大したことはないのかもしれない。

こうやって作文を書いているとき、出来るだけ読みにくく書いてやろうと思う。採点されるわけじゃないし、小論文のように採点されたって、点数が低いだけで、関係のないこととしてもよかんめれ。 でも、口語体と言うか話すように書くと、自然に読みにくくなってくれる。これは嬉しいことであるのです、とニヤリする。

なんか眠くなってきたけど、途中で書くのを止めてみよう、ねむいし。